わたしたちの散骨セレモニーは「祈り」と「讃美」にこだわっています。

 

「祈り」とは、イエス・キリストとの会話です。コミュニケーションです。

 

そして、ここで言う讃美とは、歌を通してキリストに祈ること。つまり、祈る思いを持って歌うことです。

 

ですから、祈りも讃美も、どちらもイエス・キリストとのコミュニケーションです。

 

祈りや讃美には力があると信じているからです。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(新約聖書・ピリピ人への手紙4章6~7節)

 

祈りにはリアリティーがあります。祈る時に、心が癒され、心が平和(平安)になるのです。心が満たされるのです。

そして祈りも讃美も、どなたでも行うことが出来ます。

 

クリスチャンではない方、仏教を信じておられる方、神道を信じておられる方、神はいないとお考えの方、どなたでも結構です。

 

大事なご家族を亡くされ、悲しみの中に、寂しさの中に、苦しみの中におられるかもしれません。

 

共にイエス・キリストを信じて讃美してみましょう。祈ってみましょう。

広い海原の中、誰の目も気にせずに共に讃美しませんか?

キリストを信じて、キリストにすべてを打ち明けるとき、癒されます。

 

私たちが祈りと讃美にこだわる理由はここにあります!